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伊福部昭とアイヌ音楽について!経歴は?ゴジラのテーマとの関わりも解説!

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皆さん、映画「ゴジラ」、観たことありますか?

日本人なら一度は観られたことあるのでは?

私は子供の頃、祖父に連れられて「ゴジラ」の映画を観に行きました。

あれが、私が映画館に行った最初だったと記憶しています。

スクリーン一杯に現れるゴジラ、そしてあのゴジラのテーマ曲の迫力、そしてなぜか悲しげなゴジラの目がすごく印象的でした。

さて、このゴジラのテーマ曲を作ったのが、大作曲家、伊福部昭(いふくべ あきら)さん

伊福部昭さんの音楽はアイヌに大きな影響を受けていると言われます。

アイヌとゴジラ・・・。

全く違うと思われる、この二つの世界に、何か共通点はあるのでしょうか?

今回は、伊福部昭さんとアイヌ音楽について、経歴そしてゴジラのテーマとの関わりに迫ってみたいと思います。

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伊福部昭とアイヌ音楽について

まず、伊福部昭さんとアイヌ音楽との関わりについて見ていきましょう。

「経歴」のところで述べているように、伊福部昭さんは子供の頃に北海道にやって来て、そこでアイヌと親しく接するようになります。

伊福部昭さんが見聞きしたアイヌの言葉や音楽は、私達のものとは全く違っていました。

まずアイヌには文字がなく、言葉は全て伝承という形で受け継がれています。

また生まれてから死ぬまで、非常にたくさんの音楽に満ちていて、喜ぶのも悲しむのも、あるいは亡くなった人と別れるのも、さらには裁判の時でさえ、独創的な即興の歌で気持ちを表します。

伊福部昭さんはそうしたアイヌの文化に触れ、特にアイヌの叙事音楽「シノッチャ」に強く感動しました。

伊福部昭さんの代表作である「シンフォニア・タプカーラ」にもアイヌの人々への共感と尊敬が込められています。



伊福部昭の経歴

bBearさんによる写真ACからの写真 

それでは、伊福部昭さんの経歴を見ておきたいと思います。

伊福部昭さんは1914年5月31日、北海道釧路幣舞町に生まれました。

父親は利三さん、母親はキワさんで、伊福部昭さんは三男でした。

伊福部家は、もともとは日本書紀にも登場する因幡の古代豪族でした。

因幡は今の鳥取県にあります。

日本神話に出てくる「因幡の白うさぎ」のお話が有名ですよね。

伊福部家は因幡の宇部神社の神官を代々務めてきました。

伊福部昭さんは、その伊福部家の67代目です。

しかし、伊福部家は時代とともに権力を失っていき、明治維新の時に、遂に北海道に移住することになりました。

こうして、伊福部昭さんは北海道で生まれることになります。

1923年、伊福部昭さんが9歳の時、父親の利三さんが音更村村長に就任したのを機に、音更村に移ります。

音更村は十勝平野の中央に位置する町で、アイヌとの交流が盛んに行われていました。

伊福部昭さんはアイヌの人々の音楽に強い感銘を受け、アイヌ音楽は、その後の伊福部昭さんの音楽に大きな影響を与えました。

またこの頃、独学でヴァイオリンやギターの練習を始めます。

13歳の頃からは、やはり独学で作曲の勉強も始めます。

1933年に作曲した「ピアノ組曲」は、1938年のヴェネチア国際現代音楽祭に入選しました。

伊福部昭さんは音楽だけでなく、絵にも関心を持ち、札幌二中時代は絵画クラブに入っていました。

1935年、北海道帝国大学農学部林学実科を卒業すると、林野管理局の森林官吏となります。
しかし、働きながらも作曲を続け、その年、21歳で作曲した初めての管弦楽曲「日本狂詩曲」は、チェレプニン作曲コンクールで第1位に輝き、伊福部昭さんは国際的に評価されるようになりました。
翌年、「日本狂詩曲」はボストンで初演されます。
伊福部昭さんは、1940年に北海道大学演習林事務所、1945年からは札幌豊平の帝室林野局林業試験場と、仕事の方も頑張っていました。
伊福部昭さんは、放射線による航空機用木材強化の研究に携わっていましたが、終戦を迎えたある日、突然血を吐いて倒れてしまいました。

1946年、栃木県日光に移り、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)の作曲科講師に就任します。

翌年には東京都世田谷区に移り、この頃から映画音楽も手掛けるようになります。

1954年、伊福部昭さんの代表作と言える「シンフォニア・タプカーラ」を作曲。

また、映画「ゴジラ」の音楽を手がけることになりました。

伊福部昭さんは1974年、東京音楽大学作曲科教授に就任し、1976年には同大学学長になります。

1985年には同大学民族音楽研究所所長に就任。

作曲家、芥川也寸志さんは初期の頃の教え子です。

1980年、紫綬褒章、1980年、勲三等瑞宝章を授章。

1996年、日本文化デザイン賞大賞受賞。

2003年、文化功労者顕彰。

2005年、伊福部昭さん91歳の時、第2の故郷と言える北海道の音更町で「伊福部昭音楽祭 in 音更」が開催され、「管弦楽のための日本組曲」や「シンフォニア・タプカーラ」などが演奏されました。

その翌年、2006年2月8日、伊福部昭さんはご逝去されました。91歳でした。




伊福部昭のゴジラのテーマとの関わり

Massimo Adelmo Mattia AbadによるPixabayからの画像

伊福部昭さんの中で、感銘を受けたアイヌ音楽と「ゴジラ」のテーマはどのように関係しているのでしょうか?

ゴジラはその昔、神として人々に崇められていた歴史があります。

監督は、ゴジラのテーマ曲について、数千年前の歴史を感じさせるものにしたかったのだそうです。

アイヌ文化は縄文時代の文化を残しています。

その点において、アイヌ音楽とゴジラのテーマはつながったのでしょう。

また、アイヌの人々は、その地にもともといた民族なのに、後でやって来た和人から異端者として差別を受け、苦しめられます。

それでも、アイヌの誇りや文化を失わないで今に至るのです。

ゴジラも人間にとっては、自分たちの社会を破壊する異端者でありよそ者です。

その点においても、アイヌとゴジラには共通点があります。

伊福部昭さんは、アイヌから影響を受けた独自の音楽で、そのゴジラの迫力と悲しみを表したのです。

それからもう一つ、古代において豪族で、神々に仕えていた伊福部家は衰退の後に、知らない土地、北海道にやって来て、よそ者として生きていかなければいけませんでした。

伊福部家では、その家系について、子孫にしっかりと語り継いで来たようです。

それで、伊福部昭さんの中には、「日本」的な感性も強く根を張っているのではないでしょうか。

和とアイヌの融合、それが伊福部昭さんの音楽であり、ゴジラのテーマに流れているのかも知れません。



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